【映画】リトル・フォレストを観ました 生きること、食べることについて考えました
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「リトル・フォレスト」いう映画を観ました。
小森という、東北のある集落に住む、いち子ちゃんという女の子が主人公。ほぼ自給自足に近い暮らしをしています。
いち子ちゃんは、しばらく街で男の人と一緒に住んでいたりしたこともあったのですが、小森へ戻ってきました。そのことを、“逃げてきた”と思っており、負い目も感じているのです。そんな負い目を幼馴染のユウ太くんに指摘されたり、親友のキッコちゃんに助けられたりしながら成長していきます。
まずは、映画に出てくるいろいろなものがおいしそうで。
夏・秋と続編の冬・春それぞれの季節に採れるものを使って、素朴ながらも贅沢な料理の数々が出てきます。
夏は、部屋の湿気対策につけたストーブでパンを焼いて、ご飯と麹を発酵させて米サワーを作ったり、トマトを丸かじりしたり、グミの実でジャムを作ったり。
秋は、栗の渋皮煮、クルミの炊き込みご飯、季節の最後にとったイワナを南蛮漬けにしたり・・・。
数々の料理を作って、食べているいち子ちゃんが出てくるのですが、それらのあちこちで、生きること、食べることを考えさせられました。
小森という集落は、まわりに何もない、本当に何もないところ。
そういうところで生きていくことが、本当の“生きる”ことではないのかと。
例えば、わたしがこれからそこでひとりで暮らしていけと言われても、きっとまず何もできないと思う。
パンも作れるし、米サワーはないけど甘酒なら作ったことあるし、栗の渋皮煮も作れるけれど、どれもみんな買ってきたものを料理しただけで。
畑で野菜を作ったこともないし、山菜もどれが食べられるものかというのもわからない。
食べるのものを育てるということは、1年中気を抜けなくて、いろんな手をかけなくてはいけないわけで、でも“今年の野菜は高い”とか“安くなってよかった”とか簡単に言ってしまう自分も恥ずかしくなりました。
いち子ちゃんは、逃げてきたと思っているけれど、そんなことなくてしっかり地に足をつけて暮らしているように見えた。心の葛藤はいろいろあるとして。
すぐに、続編の冬・春も観ました。
今のわたしの生活の中で何ができるかなんてことはわからないけれど、食べることに感謝して、丁寧な暮らしをこころがけていこう、と思わせてくれた素敵な映画でした。