『ホリディ』という映画を観ました。
ロサンゼルスに住む映画広告会社を経営する女性、アマンダ(キャメロン・ディアス)とロンドン郊外に住む新聞記者の女性、アイリス(ケイト・ウィンスレット)。どちらもクリスマス直前に男性と別れることになってしまいます。
休暇を取って、環境を変えたいと思ったアマンダは、ネットを通じて知り合ったアイリスと、それぞれの自宅を交換して過ごす「ホームエクスチェンジ」を行うこととなります。
そして、アイリスはハリウッドの豪邸へ、アマンダはロンドンの郊外の小さな家へ向かうことに。
そこで、アイリスもアマンダも新しい知り合いができて、恋も生まれる展開となってくるのですが、アイリスの新しい知り合いの中で、ハリウッドに住むアーサーという老人がいます。
アーサーは、ハリウッドで活躍した有名な脚本家。親しくなるうちに、アイリスも身の上を語るようになるのですが、アーサーは映画の脚本家ということに掛けて、
「自分の人生という映画の主役は自分。脇役でいたらいけない」
というような言葉をアイリスにかけます。
アイリスは、おつきあいしていた男性が二股をかけていて(しかも二股相手の女性と婚約してしまう)それがわかっても、自分の気持ちにケリをつけることができないのですが、「自分は脇役ではない」という言葉から一歩を踏み出せることになります。
映画も、この時期にふさわしいものだったのですが、このアーサーの言葉がわたしにもとても響きました。
響くということは、まさにわたしにも必要な言葉だということなのだと思いました。
確かに、脇役の存在でいることが多かったのかも。
そして、それでいいと思っていました。
周りが、相手が気分よく過ごせるのなら、自分が何かを我慢してもいい、自分より誰かを優先、そんな風に動くことが美しいことなのだとも思っていました。
そのために自分のやりたいことを我慢したり、譲ったり、人の言うことを気にしたり、若いころの恋愛も、今の過ごし方も、そんな感じだったのだと思います。
相手の気持ちを考えて行動すること、それはとても大切なことだけれど、でもそればっかりだと、“脇役の人生”となってしまう、もっともっと自分の気持ちを優先させてもいいのだと気づかされました。
この時期にこの映画を観たことにも、何か意味があるのかも。
そんな風にも感じられました。
アーサーからのこの言葉、わたしの来年のテーマとしていこうと思います。
何気なく観た映画でしたが、自分のことを振り返るいいきっかけにもなりました。
冬の景色も素敵で、おすすめの映画です♪